サーフボード・ホーリーバジルティー・ゲストハウス | 徳島県海陽町のルロクラシック

Our Story

ルロクラシックができるまで

ルロクラシックでは、サーフボード製造・販売、ホーリーバジルティー栽培/加工/販売、ゲストハウス運営、自然体験学習プログラム、ウッドプロジェクトなどを行っています。

運営の中心となっている田中宗豊・美子夫妻は共に大阪府で生まれ育ちました。宗豊はプロサーファーになるために、17才で海陽町(当時は宍喰町)に単身移住し、サーフィンに没頭する日々を送っていました。

美子は25才で海のそばでの暮らしに憧れて移住し、二人は出合い、結婚し、家族となりました。
二人の趣味は、サーフィンやランニングなどで、それらに打ち込んでいる瞬間は「無」になれる気持ち良さがあり、二人にとって大切な時間でした。

子育てや仕事で忙しい時間を送る中、二人が思い描く理想の暮らしを求めていくうちに、好きなこと、興味のある仕事を自分たちで創っていくことはできないかを考えるようになり、まずは家族が食べる分のお米を収穫できるように目標を立て、実際にお米つくりを始め、運動と食の重要性や健康的な暮らし方、先人の知恵を取り入れた暮らし方を少しづつ取り入れ、続けていくようになりました。

そういった経験から、恵まれた大自然の恩地を活かし、温故知新をモットーに、一人でも多くの方々に田舎暮らしの楽しさを伝えていけるように、先人の知恵に習った昔ながらの方法と、現代の主流をうまく取り入れた暮らしを実践し、発信し、そして次世代に繋げていくためにも、「流れる波のように、今も昔も変わらないクラシックの旋律のように」~流浪クラシック~「ルロクラシック」と名付け、2013年にプロジェクトを立ち上げ、現在に至っています。

SURF & FARM

ルロクラシックが提案する
「SURF&FARM」について

ルロクラシックが提唱する「SURF &FARM 」とは、「SURF=海での活動」「FARM=陸での活動」と大きく捉えて、「健康的に楽しみながら、美味しいものを堪能する」ということを意味しています。

楽しいことや美味しいものは、私たちにとって魅力のあることですよね。自然に寄り添いながら、健康的な暮らしを続けていく上で大切なことは、「少しづつ、自分ができる範囲で、無理をせずに続けていく」ことです。

ルロクラシックの原点は、「サーフィンを通じて海から学んだこと」が軸にあります。それらを「どういった形で暮らしに活かしていくか」を考えてみて、あらためて「運動と食」の重要性を感じています。

そして、農業を通じて学んでいることに、「土と水の大切さ」が挙げられます。田畑を潤す水を上流へと辿っていけば、深い山々に到達します。山に降り注いだ雨は地下に染み込み、川に滲み出て、土中のミネラルを取り込んだ栄養豊富な水が海に注ぎ込み、豊かな生態系を支え、そして、海の水は太陽によって温められて雨雲となり、再び地上に降り注ぎます。

私たちの暮らしは「山・川・海・空が織りなす大きな自然循環システム」によって成り立っています。そのような、大きな輪の中で感じる、「日々の暮らしにある、目の前の小さな幸せ」を、皆様と共有できれば幸いです。

Our Profile

Munetoyo Tanaka

田中宗豊

大阪府阪南市出身、徳島県海陽町在住、昭和49年生まれの3児の父。
ルロクラシック代表

サーファー・ファーマー・サーフボードビルダー・フィールドワーク講師・PATAGONIA サーフィンアンバサダー
徳島県認定SATOUMIリーダー・日本ライフセービング協会認定ライフセーバー・海陽町消防団宍喰第3分団所属

2014年~2016年にハワイ・オアフ島ノースショア、パイプラインで開催されたサーフィン世界大会/ボルコムパイププロのサステナビリティープログラムに日本人で初めて参加。

SURF&FARMプロジェクト、ウッドプロジェクトを提唱。

サーフィンとの「出合い」と、高校を中退してしまった「挫折」が、僕のオーシャンライフのきっかけかもしれません。というのも、無理なく進学でき、友達と楽しく高校生活を送れる家の近所の高校に進学したかったのですが、周囲の方々の勧めもあり、無理をしてでも進学校へ進む道を選びました。

その結果、授業についていけずに、友達もできない、という、自分にとっての面白くない高校生活になってしまい、挫折し、結局、2年で高校を辞めてしまいました。

高校を辞め、目的を失い、ふらふらしていた生活から一転、憧れだったプロサーファーへの道を目指し、徳島県宍喰町(現・海陽町)に単身移住し、サーフィンに没頭する生活が始まったことで、海のそばでの暮らしが始まりました。

3年間の厳しい修行を経て、日本プロサーフィン連盟のプロ公認を取得し、プロツアーを転戦しましたが、プロとして競技サーフィンを続けているうちに、自分が求めている方向性との違和感を感じ始め、旅をしながら写真や映像にフォーカスしたフリーサーフィンに転向しました。

その後、ビッグウェーブサーフィンに魅了され、国内のアウターリーフや、ハワイ、プエルト・エスコンディード(メキシコ)、G-Land(インドネシア)、ウエスタンオーストラリア、フィジー、サモアなどの海外のビッウェーブスポットで経験を積みました。

現在は、海陽町の自然豊かな環境の下、クラシックサーフィンを模索しながらサーフボードを製造し、家族でお米 や野菜・ハーブを育てています。

こういった経験から思うことは、すべての経験に無駄なことなどなく、「どのように向き合い、受け入れるか」によって、可能性が生まれていくということです。

今、この瞬間、ここに存在している事実に感謝し、この時を楽しみたいと思っています。

Yoshiko Tanaka

田中美子

大阪府高槻市出身 、徳島県海陽町在住 3 児の母
ホーリーバジル部門責任者

・徳島県認定森林づくりリーダー
・公益社団法人 日本アロマ環境協会認定ナチュラルビューティースタイリスト / 環境カオリスタ

大阪から、「海の近くで住みたい」との想いで、徳島県宍喰へ移住し、20年以上の月日が経ちました。現在は家族5人で賑やかな日々を送っております。ここは自然の宝庫です。海、山、川に囲まれのどかな田園風景が広がり、地元の温かい人々の心に触れながら、毎日充実した生活を送っています。

自分の家で育てる野菜を食べている地元の方を見て、私も「自分で育てたとれたての野菜を食べたい!」と思い、畑を借り、近所の方から教わりながら、野菜を育て始めました。

「いつかはお米作りをやってみたい!」と思っていた願いは、結婚してから旦那様と一緒に叶いました。米作りはとても過酷ですが、過酷を乗り越えて収穫したお米は最高に美味しいです。そして、「この気持ちを共有したい」との想いで始めた、自然体験学習プログラムの「お米作り体験」。

ハーブを育てたいと夢を持っていたら、「ホーリーバジルを育ててみない?」と、苗を託され、育ててみました。

知らないハーブだったのですが、自分なりに手探りで育て、お茶にして飲んだら、良い香りで、美味しくて感動しました。育てている段階もすごく心地が良くて、「みなさんにも感じてもらいたい」という気持ちから始まった、ホーリーバジル栽培。

「よいことは共有したい」「願えば叶う」「やるかやらない自分次第」こんな気持ちをモットーにしている私です。

最近は山の楽しさに魅了されてます。トレイルランニングから始まったこの気持ち。土を感じる足が気持ちがいい。木を見てると一つ一つ違う。これは海で感じる感覚と一緒。一つ一つ波は違う。同じ波はない。木も同じ…。

植物を観察して「太陽の光がほしいから枝がこうなってるんだ」とか、自然が創り出すアートを楽しむのも魅力の一つです。鳥の声を聴きながら、自然の偉大さ、美しさを感じながら山を歩くことはとても気持ちが良いです。

自然から生活が遠のいている現代社会。

「山に入る楽しみを伝えたい」
この気持ちを、少しづつ形にしていきたいと思ってます

「いくつになっても遊ぶことが好き」「いくつになっても夢をもっている」「いくつになっても海、川、山を感じていたい」こんな私です。そんな気持ちを皆様と共有できる日を楽しみにしております。